遺伝子には逆らえなくなってきた!?


―2017年3月2日/記―



親父くんを、死んでから
使う羽目になったのは、

私が乳がん患者の、『鈴木霄』だからだ。




私が、
『鈴木霄』と名乗り、乳がん体験記を
インターネット上で記録し始めたら

私の父親と繋がる、知ってるふりをやる
人が現れた。父親を誰か知らないのに、だ。


しかし、あたしには父親の仕事が分かる。
父に似ている親戚を知らずに居たら

いきなり、50過ぎた私に父親の血が
医学者にいる、とアピールしてくる人間が
居た。血が繋がるのか、繋がらないのか?


父親は、医学者や映画監督に繋がる血、
だという。祖父の血に成り済ます人まで
現れた。祖母の父方(岩崎家)のふりや、

とにかく、訳が分からない精神障害者が
市街地に居て、成り済ますのだから大変!


成り済ましや、偽物の精神障害者から
ハラスメントや、付きまといをされてきた。

だから、分かりやすくすると?


父親は、死んでいるし。父に似ている、
似通って見えるのは、確かに血縁らしいし
父は、このまんまの私生活を生きていた!


私は、顔は似ていない。しかし、体質や
体格は似てるし、たぶん顔の作りは似てる。

私は、鈴木霄だが。父は、仕事名を
鈴木教之と名乗り、音楽関係者に知られた
人ではある。その父の娘は、確かに私だし。


父の血にいた、映画監督の
山本嘉次郎は、確かに父に似ていたし。

父のはとこに、鈴木清順さんと健二さん
兄弟が居て、おふたりをミックスしたら
父の感じに似てくるし。


祖父の親戚には、書家の金子鴎亭氏が居て
父にも似た雰囲気があるし。祖母が新潟の
岩崎の娘だったから、東京に成り済ます人
たちが居た。


私が、2004年6月に乳がんが判明して、
私が乳がん患者の鈴木霄になった時から

私は、どこかにいる誰かの親戚になって
しまった。見ず知らずの血縁が居て、私は

医学者や芸能界にいる親戚を知る羽目になり
私は、父や祖父母の肩書きや身元に拘束され
放っておいて欲しい他人から狙われたり?


嫌がらせや恐喝をされ、付きまとわれたり
干渉されてきた。私が、鈴木家だっただけで、
私が岩崎家の血を引いていただけで、私自身が

鈴木霄になっただけで、狙われてきた!?

私は、父の娘として生まれてきただけなのに。
私は、鈴木宏枝だっただけなのに!!


遺伝子とは、隠しようが無いのである。


📷 写真は、父56歳当時の写真
(1981年1月撮影)



💁 鈴木霄でした。


1963年11月15日、2歳7ヶ月

明治神宮にて。


祖母(鈴木イシ)を見た人が、祖母を
母の肺がんの治療をしたドクターに
似ている、という人が居る…。

母が昭和34年から平成9年まで勤務して
いた石川家の、その親族の小渕先生にも
祖母は、似ていた。小渕先生は

東京医療専門学校の、かつての校長。


その小渕先生や、石川家の親戚は父の
遠縁や分籍に居たらしい。小泉家とか
渡辺家は、父の両親の親戚だったと!?


らいふれこーど

なんとなくの写真日記 乳がんから14年目、私の今と…。