ファインダー


鈴木千生として書いた記録から


「ファインダー」

2016.12.28 13:53



ファインダーを覗くのは
自由自在。

他人では見えないミクロの日常。


他人さまには見えない、
他人のカメラのレンズの先にある
ある日の現実。他人は知らない!


知らないのを、知るふりしたくない。
だから、自身の体験しか呟かない。


自身が知る経験や、出会いや起きた話を
したい。それは、生きた証だけなんだよ。
 
私を、新宿区歌舞伎町育ちだと
知らない人が、私を知るふりをし

新宿区の区役所通りにいた私自身や
歌舞伎町にいた幼児を知らない人が
なぜか、私を知るふりをする。なぜ?

あなたのファインダーは、
私のいつを、どこで見ていたのですか?

あなたのレンズは、あなたの魂は
あなたの眼は、私のいつを見てましたか?

あなたのファインダーに、私はいない!


あなたは、私には知らない人。あなたは
私を分からなかった人。あなたの魂は
私のいつを知っていましたか?


あなたの人生は、私の体験を経験していますか?
あなたの脳は、私のブログを全て読みましたか?

あなたの人生は、私の何と同じでしたか?

あなたには、私のことは分かりません。

あなたを知らない私は、あなたを語らず
あなたを見ず、あなたには会わない。

だから、あなたには私は分かりません!

あなたのファインダーに、私はいない。
あなたを知らない私は、あなたに見えない。


あなたの知らない世界を、私は生きている。

あなたが望まない、あなたの知らない路で
私は、あなたのいない世界で生まれている。

あなたのファインダーに、私は映らない。
あなたの脳に、私の記憶はない。あなたは
私の誕生も、私の涙も、私の経験も見えない!


あなたには、私の全てを知らない、という
生きた証があります。あなたの見たくない、

あなたが知りたくない、あなたの望まない
他人の艱難辛苦。他人の呻き、他人の傷み、

他人の苦痛、他人の嗚咽。あなたにはない
私の痛み。あなたは知らない!


あなたには分からない、あなたがいない
私の生きた場所。あなたは知らない、私を!


だから、あなたの魂には私はいません。
あなたが知りたくない、あなたが見てない、
人の世の苦しみや営み。あなたに見えない。

そんな人々に、敬意と礼儀と誠意をもって
あなたは、あなた自身に罪を抱かせないように、
どうか、あなたを罪深き人間にしないように!


あなたは他人のいのちに、責任を持てますか?
あなたは私の心に対して、いのちを張れますか?

あなたは、あなたである証に罪を犯さないで
下さい。あなたは、私ではありません。


ファインダーにいる私の魂に、あなたは
繋がらない。


だから、あなたのファインダーにより、
過ちを重ねないで下さい。他人には
他人のドラマも、いのちもあり、人は

自分の人生なかで、様々な苦しみに息をし
様々な悲しみに笑い、耐えて来ました!?


あなたは、あなたのファインダーで
他人の痛みに牙を向けないで下さい!


人間の高慢さは、罪になります。

あなたは、あなたの罪に責任があります!



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人間は、

今そこにいる自分の現実の矛先にある現実

ではない、誰かの狂言には繋がるのに、

自分がいる場所からは見えない人々の命には
無責任に反応をし、知るふりも出来るよね。


生きることは分かる人間が、死する人の命や、

しがらみや屍には繋がらない。つまり、
知らないことには、介入しやすい。


他人の自意識という、無責任という場所では
他人とは、罪は感じにくいということ。


感謝をしている、してきた、
という人間が 「ありがとう」と言う時

どれだけ泣いたか? という他人の日常生活を
推し量るようにもなるが。泣けない人には

「ごめんなさい」が言えないんだよ。

「ごめんなさい」 と言える人たちは、
肉親や友人が病院に入院をしたら、必ず
駆けつけ、お見舞いには行けるというもの。


行けない人たちには、何故か言えない理由があり、「ありがとう」は、簡単に言えないんだよね。


「ありがとう」と言えない人に、事実とは
育たない。事実はね、苦しんだりしたこと…。

苦しんだことを知らない人には、他人への
感謝は、起こりえない。悲しみ、もがいた
あの人たちに、「ありがとう」と泣けたのかな。


死にゆく人に、「ありがとう」と泣けたかな?
死んだあの人に、「ごめんなさい」と言えるかな。

感謝とは、「感じて謝る」ことなんだよ。
「こんな自分なんかの為に、ごめんなさい」
とね。「出会えて良かった。ありがとう」と。


死にゆく人に、「ありがとう、さようなら」
と言えない人には、人を幸せに出来ない。

生きている人を相手に、お世辞を言うのは
営利目的もあるし、リップサービスでもある。

サービス業には、嘘がある。ホントの話、
感謝は、作り笑いをしないことなんだ。

私生活の欠点とは、なかなか治せないから。


他人のブログや文章のパクリをやる詐欺、
他人の思想や、記事を引用ではなくて、まさに

さも自分が考え話したかのように書いてみたり
盗用し、それをパクリながら原文の記録者の心、
そのことを中傷批判するなんてことが、卑劣だな

ということが、ブロガーには居る。分かった。

だから、私には丸見えになるんだ。哀れだね。


神居来都の話をした、記録をパクリながら

パクった人たちは、単に嘘を噂した人たち。
人間は、書いた人がどんな体験をして、何を

感じながら、平成15年に書いた文章なのかを
知らずに、ホームページを盗み見したみたい。


つまりは、知らないから言えるんだよね。

笑うよね。神居来都の批判をし親戚面した

その人たちが知らない中にいながら、
他人のふりして、「神居来都の部屋」に記録
していた記事をパクリ、真似して書いてる。


真似をして、批判をして、それを記録を
盗用してる訳知りさんが、アメーバで

私の思想を利用していたんだからね。


「人生とは事業。人生とは自営だということ」

だという神居来都の思想をパクっていたんだから
情けないよね。鈴木家の血のふりして(笑)。


情けない。

浅はかな世間知らずな人が、いい年をし
さもサービス業界にいて、知ってるふりして


感謝を何たるか分かるふりするなんざ、何か

恥ずかしい。私のパソコン、覗いたのかな?


母の叔母が亡くなった時、自宅のパソコンから
 「神居来都の部屋」の文書を自宅でコピーした、

それを、中野から持ってきて、葬式の日に

生前、大叔母に読ませた文書を、棺桶に
通夜の夜に、お寺の会館でこっそりと記録を

入れてあげたんだもんね。あれ読んだのかな?


亡き大叔母が

「ヒロちゃんにしか書けないもの」と言ってくれた
文書。新宿の歌舞伎町で育った体験が生きてる、

それが 「神居来都の部屋」になったのだと
言ってくれた。その大叔母の棺桶の中に入れた
文書を盗用されたのだとしたら、情けないよね。




らいふれこーど

なんとなくの写真日記 乳がんから14年目、私の今と…。